離れて暮らす老親の生活支援と介護

知識と技術は別!食事をしなくなる理由はあなたのせいかもしれない

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不自由になったことを受け入れられないこともある

手が不自由になってしまった方。利き手で食事ができない方。様々いらっしゃいますが、不自由(障害を持つと)になると、そんな自分をなかなか受け入れることができず、周りの意見を聞き入れる余裕がなくなります。

今までは何不自由なくできていたのです。今までの経験や様々な実績、人に教える立場で、慕われる側だったかもしれません。それが、病気や年齢を理由に、急に立場が入れ替わります。思うように体を動かすことができず、食事すら上手にできない。情けないやら、思い通りにいかないやら、自分にイライラします。

手づかみで食事したり、食事そのものをしなくなることもある

箸がうまく使えないので、仕方なくスプーンを使います。しかし、片手ですくおうとすると食べ物が逃げるのです。不自由を受け入れられた後に思い返すと、「なぜあんなにイライラしていたのだろう。みんなには申し訳なかったな。」と反省ができるのですが、不自由になったばかりの頃は、余裕がなくて些細なことでイライラしてしまいます。

そのうちどうでもよくなって、手づかみで食事をしてしまうこともあります。しかし、職員や家族などの介護者に指摘されるのです。「スプーンを使って食べましょう。」と。

それがまたイライラします。「わかっていることを毎回毎回。うまくいかなくてイライラするから手づかみで食べているのに。」と。バカにしているのかとも思ってしまいます。正論を振りかざし、偉そうに誰もがわかっていることを口にして、何が楽しいのかと。「こっちは必死なんだ。言われて簡単にできるなら苦労はない。」そう思ってしまうのです。

だから、無視を決め込んで手づかみで食事を続けます。するとイライラした言い方で「周りの方が不快になります。衛生上もよくありません。スプーンを使わなければ練習にもなりませんから、いつまでたっても上手にスプーンを使えませんよ。」と。余計にイライラするので食事をやめます。

知識と技術は別 知っている=できるではない

人に教えるときに注意しなければならないことの1つです。当たり前のことですが、「教えたら、すぐにできるわけではない」。この当たり前を忘れてしまっている方がたくさんいます。教える側が、「知っている≒できる」ということを知っており、なおかつ、それを実践できる人でなければ、教わる側は混乱し、嫌になるばかりです。

知っていても、頭では理解していても、できないことは世の中にたくさんあります。毎日運動した方が良いことはわかっていますが、サボりがちになります。また、ダイエットをするといいながらチョコレートを食べてしまうこともあるでしょう。それが人間です。

周りが不快になることも、衛生上良くないことも、使わなければできるようにならないことも、そんなことは頭で理解しています。それでも、周りに気を使っている余裕がないのです。自分自身に起きた変化に、心が追いつかない。自分のことだけで精一杯。全く余裕がないのです。

環境や道具が変われば、リハビリしてもできないこともある

なんらかの病気を理由に救急搬送され命を助けられた後は、リハビリ専門の病院に移ります。リハビリ専門の病院では、リハビリする環境の整った場所で、経験豊富なリハビリの専門家の支えのもと、できる限り自分の力だけで生活できるようにしてくれてから退院させてくれます。

しかし退院後の環境は全く異なります。体が不自由な状態でも、なんのバリアもない環境であるとは限りませんし、道具も違います。全く同じ環境ではないのです。そのため、人によっては、リハビリしてきたからといって、すぐに退院後の生活がスムーズにできるとは限らないのです。

リハビリ病院とは異なる環境に慣れる必要がありますし、練習も必要です。人の車を、初めから自分の車のように運転できる人はまずいません。

ぶっつけ本番での練習は避けるべき

利き手を骨折しているのに、事前になんの練習もなく、自信満々で外食できるほどに心の強い方、どれだけいらっしゃるのでしょうか。

「周りが不快になる」「衛生上良くない」「使わなければできるようにならない」。なら、できないことをわかっていながら、ぶっつけ本番で食事をしてもらうことは避けるべきです。

スプーンを上手に使える状態にないにもかかわらず、事前の練習も何もなく、周りにたくさんの人がいる中で、急に食事をしてもらう。これは、マナーも何も知らない新人に名刺を渡して、いきなり飛び込み営業をしてこいと言っているようなものです。

ありえないですが、急に夏になり、「さあ夏だ。水着に着替えて海に行こう。」と言われたって、「少しダイエットする時間をください。心の準備も体の準備もできていません。今は恥ずかしくて無理。」そう言いたくなるのと一緒です。

高齢者の場合、重度の認知症でない限りはマナーは知っています。教えるまでもなく知っています。知っていてもできないのですから、食事中ではないときに、ビー玉やら何やらなんでもいいので、食事に見立てたものを使って、練習させてもらう方が安心です。

ある程度できるようになってからであれば、みんなの前でも恥ずかしい思いをせず、心を落ち着かせて食事ができます。もちろん人によっては、うまくできなくてもみんなと一緒に食事をしたいという方もいらっしゃるでしょう。人それぞれ考え方は異なりますから、一概にこれが正解だとは言えません。

若者は徐々にできるようになるが、高齢者は徐々に、または急にできなくなる

病気などの経験がない方は、これを忘れがちです。若くして大きな病気をしない限り、私たち高齢者以外の者は、生まれてから多くのことが、徐々にできるものへと変わっていきます。

室内しか行動できなかったのに屋外へ。家の周りが全てだったものが、自転車で大きな公園まで。そのうち電車に乗って都心に行ったり、車で遠くに旅行したり。心が前向きになりやすい状態で、簡単にできたことができなくなるという恐怖を知らない状態です。

一方高齢者の場合、歳をとるにつれて徐々に徐々に行動範囲が狭くなっていきます。今まで簡単にできたことが、できなくなって、色々なものを奪われていく感覚。大きな病気をしようものなら、徐々にではなく、急に何もできなくなる。

真っ暗な世界に一人、陥れられたような感覚。とても心が寒く、不安だけで頭がいっぱい。こんなことすらできないのかと、自分をけなし続ける日々。心が前向きにいられるはずもありません。若くして大きな病気を経験した方でなければ、高齢者の気持ちを理解するのが難しいのです。

道具の力を借りて、ハードルを下げて、「達成感」を積み重ねる

歩くことはできないが腕は使えるという方なら「車椅子」。利き手が使えないのであれば「ユニバーサル食器」などのように、便利な福祉用具などは、現代では簡単に手に入れることができます。

指摘や注意することは、なんの準備も必要とせず、お金もいらないので、最も簡単な方法ですが、多くの場合はやる気を奪うだけ。なんの解決にも至らないことの方が多いはずです。

できないことややらないことを指摘するより、とても簡単にできることをたくさんしてもらって、「達成感」を積み重ねてもらった方が、人はやる気になります。

何度やってもなかなかできないにもかかわらず、何度でも挑戦することのできる方もいます。しかしそのようにくじけない方の多くは、「努力すればできる」と心が前向きになっている方なのではないでしょうか。

何度やってもうまくいかない。人が必死にやっているのに、褒められるどころかできないことを指摘される。諦めたことを咎められる。心が前向きになっていないにもかかわらず、ハードルを高いままにして放置すれば、やらなくなって当然と言えます。

そこで、道具の力を借りてハードルを大きく下げるのです。この道具を使えば簡単にできると分かれば、その道具を使って練習してくれます。実際にその道具を使ってできるようになれば、少し心が前向きに傾くはずです。

それを何度も繰り返し、ほんの少しの背伸びで達成できるものを、ゆっくり増やしていくことができれば、心がどんどん前向きに変わっていきます。

高齢者や食事だけではない みんな共通

指摘や注意をするだけでできるのであれば、みんな初めからやっているのではないでしょうか。「タバコをやめて。健康に悪いし、周りにも迷惑。」そう言われて「はいそうですか」と簡単に辞めることのできる人はごくごく稀です。

わかっていてもやめられない。チョコレートやケーキは美味しいですし、勉強するより寝ていた方が心地よいのです。高齢者だろうと子供だろうと誰だろうとみんな一緒です。

食事だけでなくどんな事柄であれ、人それぞれに自分だけのハードルがあります。あなたにとっては簡単に超えることのできるハードルも、他の人には難しい。その逆も然り。ハードルが高くて何度挑戦してもできない。

今まで簡単に超えることのできたハードルが、急に超えることができなくなって自信喪失。そんな自分にイライラ。誰にでもありますし、食事以外にもたくさんのハードルが考えられます。

「知っている=できる」ではないこと。環境が変わっても同じようにできるとは限らないこと。指摘されてできるようなら、初めからやっているということ。今まで簡単にできたことが、できなくなるということがとても恐怖だということ。これらのことを決して忘れてはなりません。

親の介護の前に必須! 実家 親の持ち家の価値を知っておこう

親の介護の期間が長くなればなるほど重くのしかかってくるのが費用の問題。

最初は親孝行の意を込めて快く費用を負担できても、長生きすればどんどん金額が積み上がっていくのが現実。

自分たちの生活もあるので、親の介護費用を援助し続けるには限界があります。

そのため、親の介護費用は基本的にまず親の財産を使っていくことが、お互いのため。

だからこそ、すぐに売る売らないは別にして、
あなたの実家・親の持ち家の価値を知っておく(一度、査定をしておく)ことで、介護費用にあてられる金銭の目処が立ちます。

実家終いノート編集部
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  • この記事を書いた人

孝行(たかゆき)

40代男性。有料老人ホーム、訪問介護、グループホームに勤務経験があり介護の現場に詳しい。主任やユニットリーダー兼計画作成担当者も経験。介護事業新規立ち上げ手伝い中。旧サイト名「フィリアル(親孝行)」部分の記事を主に執筆。

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